恐怖ゲーム

意外に「恐怖」という単語の定義ってのは難しい。辞書で調べてみたところ、「恐れること。恐れ。」とまるで役に立たない説明しか載っていませんでした。


ゲームには「ホラー」というジャンルがあって、一時期はかなりの人気を博し雨後の竹の子の様に様々なメーカーからソフトが発売されたものだけれど、今となってはほとんど沈静化してわずかな量のソフトが供給されるまでに落ち込んだ。それを敢えて2種類に分類すると、「バイオハザード」や「サイレントヒル」などに代表されるアクション系と、「弟切草」や「かまいたちの夜」などに代表されるサウンドノベル系に分けられる。


まず前者のアクション系ホラーゲーム。カプコンの「バイオハザード」ではゾンビという異形の怪物を出現させ、極限状態から生還するのが目的のパターンである。ストーリーこそ違えど、どのシリーズもその点では共通している。コナミの「サイレントヒル」やSCEの「SIREN」などの他のゲームも概ね似たような構成である。


こういったタイプのゲームから受ける「恐怖」は、画面に映し出されている敵に対する恐ろしさ、そしてそれらの敵がいつどこから現れるかわからない疑心暗鬼から生み出される恐ろしさ、この2つであると思う。これらは本当にゲームでなければ体現できないもので、自分の操るキャラの動きに対応して敵が動くこと、自分の行動一つで行く先がいくらでも変化することの両者を兼ね備えており、まさにゲーム文化が生んだ偉大な功績である。つまり、「スリル」から感じる恐怖と言えよう。


とはいえ結局はゲームであるが故に、プログラムされた以上の動きや広がりを持つことはなく、敵の動きや出現パターンを覚えてしまえばただの敵でしかない。「スーパーマリオ」におけるノコノコやゲッソーと何ら変わりないのである。そうなってしまったら最早ホラーゲームとしての役割を成さず、ただのアクションゲームとなってしまう。ユーザーはそれを体で記憶してしまっているので、こういったアクション系ホラーゲームから興味を失ってしまったのではないだろうか。


特にジャンルのパイオニアとも言える代表作である「バイオハザード」などは、昨今ではムービーやグラフィックの美しさばかりに終始してしまい、肝心のホラー要素のレベルが下がっていると言わざるを得ない。あれなら潔く単にサバイバルゲームとでも銘打った方が良いのではないだろうか。ある大作RPGの映画など、技術に金ばかりかけて興行成績は惨憺たるものだった事実もある。


以前ブームに乗じて同作品は映画化されたが、大学の映画研究部でももう少しまともなものを作るんじゃないかと思うほどのお粗末なストーリーと演出で、CG技術など小手先の表現で満足してしまったような作品の続編を作る事の意義が全く理解できない。まだ観ていないので実際はどうなっているのか知らないけれど、あまり食指は動かない。


バイオハザード」に恨みがある訳ではないので、批判はこれくらいにしておきます。ただ、GC版の「バイオハザード(1)」は良作でした。まあそれなりに恐怖感は得られましたし、アクションゲームとしても楽しめるものだと思います。0は途中で猿に虐められて放り出してしまいましたが。


そして後者のサウンドノベル系ホラーゲーム。ゲームで小説を読むような感覚で、所々に挿入される選択肢によってその後のストーリーが変化していくタイプのゲームだ。


このジャンルに初めて挑戦したのがかの有名なチュンソフトの「弟切草」である。主人公が彼女とドライブしている最中に事故に遭い、迷い込んだ洋館で不思議な事件に巻き込まれていくといったストーリーで、まず誰もが最初に驚かされたのはミイラであろう。他にも次々とショッキングな出来事が主人公たちを襲う。私が個人的に一番怖いと感じたのは、温室の入り口に書いてあった「奈美」という赤い文字が揺れるシーンだ。今にしてみればなんでもない、Flashでお手軽に作れそうな演出であったが、それに得体の知れない恐怖を感じ、何度プレイしても温室に向かう度に嫌な思いをさせられた。


そして次にチュンソフトが発売したのが「かまいたちの夜」。雪山のペンションに彼女とやってきた主人公が、客の一人が変死を遂げることから殺人事件に巻き込まれていくというストーリーだった。前回の幽霊に近い土台に対し、今回は人間関係を土台にした恐怖を演出していた。私も実際に主人公の知らぬ間に次々とペンションの従業員や客が殺されていくシーンは恐ろしくて堪らなかった。真犯人に殺されそうになった時も、思わずテレビからのけぞってしまうような恐怖を感じたものです。


まあ2年前に発売された「かまいたちの夜2」は、前回の1は創作であるという前提だったけれど、こっちの方がよっぽど創作ぽかった。ファンとして期待に胸を膨らませ限定版を買ってきたのに、その内容はホラーゲームとしても普通のノベルとしても箸にも棒にもかからないような駄作で、格段に進歩したグラフィックやサウンドが虚しく思えたものだ。同梱のオリジナルドラマが収録されたDVDもストーリーもへったくれもない、ただ人が死にまくるだけの愚作でしかなかった。


ともかく、サウンドノベル系はある程度ストーリーが変化するので何度もプレイする事が出来たし、少なくともアクション系よりはホラーに特化したジャンルであると思う。


これまでの話の展開を読むと、私は懐古主義者のように見えてしまうかも知れない。ただ、実際昔の作品には本当に怖い作品には他にもいくつか出会っているし、最近は特に怖いと思える作品に巡り会えていないのも事実だ。これはメーカーが力を入れていないせいもあるだろうけど、やっぱり自分の方に問題があるんじゃないかと思う。


昔の私は怖がりだった。小学校低学年の頃、当時大人気だった「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」に毎回ドラマがあった。電話がかかってきて加藤茶さんが出ると「私だ」と声がして、志村けんさんが聴診器で電話の内容を聴く、というシーンがあったと言えば思い出される方もいらっしゃるのではないでしょうか。そのドラマで志村さんがスイカを種も出さずにすごい勢いで食べるシーンがあった後、体の中の種が徐々に志村さんの体を侵食し、最後にはスイカ人間になった志村さんが他の同様の人達とともに徒党を組んで歩いてくるシーンで幕を閉じる、といった恐怖オチの話があって、それを観た私は、観る前に食べたメロンの種から自分はメロン人間になってしまうのではないかと本気で考え、母や祖母などの泣きついて「病院に連れてって!」などとわめいた事があるほど怯えていた。今にして思えばバカそのものなのだけれど、その時は本当に恐ろしいと思っていたのは未だに忘れられない。


そんな私があるゲームをプレイした。それはファミコンの「帰ってきたウルトラマン倶楽部2」というロールプレイングゲームで、誰もホラーゲームとは思わないような明るい作品。当時はまだセーブという文化が浸透しておらず、ドラクエ1や2のようにパスワードを入力して途中から再開するタイプのゲームだった。


そのゲームの4つ目のフィールドが怪獣墓場で、カラータイマーをゼットンに奪われたタロウを救うところから始まる。まず情報を収集していくのだが、「カンオケのカギ」を入手するために塔にいるボスを倒さなければならない。そこのボス自体は大して強くないのだが、とにかくそこで流れるBGMが怖かった。まさに墓場というものを表現するとこういう感じなのではないかといったBGMで、自分は来てはいけない所に来ている感覚がした。初回プレイ時はそこで行き詰って先に進めなくなってしまい、また最初からやり直したりしたのだが、再びその塔に行かなければならなかった時は気が重く恐怖に怯えながら攻略をしていた。その後ゼットンを打倒し、タロウと共に怪獣墓場のボスであるヤプールが潜むダンジョンに行くのだが、そこでも同じBGMが流れていた。しかしそこでは全く恐ろしいと思わず、さくさくヤプールをぶっ倒してしまったのだ。つまり、このBGMはあそこの塔で流されて初めて恐怖を感じるのだ。無害な物質をとある物質と混ぜてしまうと有害な物質に変化してしまうようなものだ。


余談だけれど、ラスボスが私の一番好きな怪獣であるバルタン星人で嬉しかった記憶がある。その後もいくつもRPGをプレイしきてきた。でもこの作品は自分の中では名作中の名作として揺るがない。特に忘れられないのが、必殺技がランダムでしか打てず、打てる時はコマンドに「今だ必殺」が出現する。ウルトラマンで意気揚々とそのコマンドを選択すると「電磁バリア」の文字があり、がっくりした事は一度や二度ではない。電磁バリアなんて最弱ザコ怪獣のガバドン以外に使えるような技じゃなかった。大体何処にも必殺要素が無いし。でもそれも含めて面白かった。ファミコンだから手に入れづらいかもしれないけど、未プレイの人にも是非ともプレイしてもらいたいと思います。ちなみに続編のウルトラマン倶楽部3は酷い作品でした。その頃の私は高橋名人の言う通り1日1時間しかプレイできなかったのですが、ラストダンジョンが1時間かかってもラスボスに辿り着けないので事実上クリアが不可能なゲームでした。大体一人一人逃げるってのが面倒でやってられなかった。必殺技もすこぶる出すのが面倒だったし。


さて、長々と昔話をしてきたけど、結局何を言いたいのかというと恐怖を演出する最高のスパイスは「想像力」という事だ。どこかで耳にした言葉だけれど、まさしくその通りだと思う。スイカ人間にしろ怪獣墓場にしろ、自分で勝手に怖いものを想像し勝手に恐怖を感じていただけなのだ。まあ作り手側にはある程度そういうコンセプトで制作してるんだろうけど。


アクション系が「スリル」による恐怖であるなら、サウンドノベル系は「想像」による恐怖だと思う。画面では動的な物体が存在せず、想像力でその場を補完してもっと恐ろしい状況を脳内で作り上げているから、サウンドノベル系ホラーゲームは怖いのだ。つまり、想像力さえ豊かであれば、アクション系よりもサウンドノベル系の方がより恐怖を感じることが出来るホラーゲームであると言っても良いと思う。


成長するにつれ、物事に恐怖を感じないのは想像力が欠如しているからだ。まだ知識が乏しい頃は未知のオブジェやシチュエーションが多いが、経験を積み重ねてゆくとおのずとそれらは減少していく。そして想像力が入る余地をどんどん狭めていってしまうのである。


だから今の私はゲームで恐怖を感じる事が減っていったのではないのだろうか。いや、もしかしたらクリエイターの方も想像力が欠如してきているのかもしれない。アクション系ホラーゲームは必ずしも「バイオハザード」を手本にする必要はないし、サウンドノベル系ホラーゲームにしたって「弟切草」を手本にする必要はない。無意識のうちに今までに築き上げられてきた基盤を踏襲し、似たような作品ばかりが世に出ているのかもしれない。


そんな中でも新しい試みのゲームは少ないながらも発売されているし、隠れた良作というのは確実に存在する。そういうクリエイターの人達には本当に頑張って欲しいと思う。ゲーム不況と呼ばれるこの時代、どこかで見たようなソフトしか生み出せないのではお先真っ暗だろう。誤解されたくないので一応言っておくけれど、人真似をするのと脈々と受け継がれてきた潮流を絶やさないようにするのは全然別物。


自分の作品を最高のものだと信じ込み「ライトユーザーなんか●●でしまえ!」とかゲームショウでシャウトしちゃってる某K島監督にはもう作れないだろうな。スタッフ一丸となって全力を注ぎ込み作り上げた作品を自信を持って売り出す事と、自分が作ったのだから名作でないはずがないと思い込んで売り出す事は違うんじゃないかな。
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20040925/mgs.htm
1は確かにかなりの名作だった。でも2はつまらなすぎて1回クリアしたっきりなんだけど?


ちょっと話がずれちゃったけど、ホラーゲームについて思っていた事を言葉にしてみました。最近は本当に怖いと思えるソフトが少なくなりましたよね。「SIREN」が怖くて全然進めなかったり、「零」に興味はあるけど伊集院光氏が相当怖いって言ってたから躊躇してたりなんて事は全然ありません。ええ、未だに怖がりです、私。


どうして怖がりの人ほど怖いものに興味を示したがるんだろうね。