恋する君を描きたくて 第4話

普段と同じような時間に目覚め、ぼーっとしながらでも特に問題なく支度を完了させると暑さを忘れたかのような気候の中、僕はいつも通り学校に向かっていた。
(・・・練習かあ・・・)
昨日の放課後の事ばかりが思い出されてならない。当たり前だ。稀少な体験であることは間違いないし。木村さんが先輩に告白するための練習、僕が言い出したとはいえやっぱり冒険だったと思う。断られてもおかしくない、そう思ってダメ元で提案したけどあっさりOK。そして昨日が最初の練習で、当然今日もやる訳で。まだ朝だというのに、放課後が気になって仕方ない。
「おはよー」
「ん?ああ、真琴か」
「真琴か、じゃないでしょ?朝はおはよう、幼稚園で習わなかった?」
唐突に僕に声をかけてきたのは朝比奈真琴。中学校の頃のクラスメイトで、何の因果か高校まで同じになってしまった女子。特に仲が良い訳でもないけど、普通にタメ口で話せる数少ない女子ではある。いわゆる女友達ってやつかな。
「あー、はいはい、おはよーさん」
「素直じゃないわねぇ、アンタは・・・」
呆れたようにため息ひとつ。
「せっかくこのアタシが挨拶してあげたんだから、もっと喜んだらどう?」
「相手がお前じゃなあ・・・」
「なんですってー?」
「見慣れすぎてそこらの地蔵と変わらん」
「むきーっ!」
「ほらそこ、女がサルみたいな声を出さない」
「誰のせいよ、誰の!」
とまあ、こんな感じなので男と女の関係みたいのは皆無。
「ホントに口の悪い男ね〜・・・」
「いやあスマンスマン、真琴が面白くって」
「アタシをおもちゃか何かと間違えてないっ?」
「んなこたーないって。TOYだよね、TOY」
「英語で言い直してるだけじゃないのよー!」
「おっ、よくわかったな。中間テストの勉強頑張ってるみたいだな」
「こんな単語、テストに出ないわよ!・・・はぁ、アンタの相手してると疲れるわ・・・」
がっくりと肩を落とす真琴。なんでこう、いちいち一生懸命リアクションしてくれるんだろうな。ついつい面白くなってからかっちゃうんだよね。まあ程々にしておかないと痛い目に遭うこともあるから注意。
「しかしこんな時間に会うなんて珍しいな。今朝はどうしたんだ?」
「どうもこうもないわよ?むしろ健こそどうしたのよ、なんか考え込んじゃって」
「あー、別に大した事じゃないから気にすんな」
「そういう言い方されると気になるのよね。何なのよ、素直に答えなさいよ」
まさか正直にクラスメイトの告白の練習手伝ってます、なんて言えるはずないよなあ。
「真琴には関係ないことだから」
「・・・あっそ」
不機嫌そうな声でそっぽを向いてしまった。うーん、今のはちょっと冷たかったかもしれない。フォローくらいはしておこう。
「まあ部活の事なんだけどさ」
「ふーん。最近どうなの、絵の方は?」
「・・・ぼちぼち」
しまった、墓穴掘った。キャンバスは真っ白な状態なんだから、実質何もやってないと同じ。モデルのためには動いているけど、絵筆は全く動いていない。だからあまり触れられたくない話題なのに自分から振ってしまうとは・・・。
そんな僕の心の動揺を読み取ってかどうかはわからないけど、
「アタシは絵の事はよくわかんないけど、健の絵は好きだしさ、頑張ってよ」
真琴はあえて深く掘り下げずに励ましてくれた。
「あ、うん・・・ありがとう」
「そうそう。そうやって素直なのが一番だっ!」
思わず感謝の言葉を口にしてしまう僕に気を良くしたのか、先程の生返事とはうってかわって上機嫌な喋り方になった。
「あ、アタシこっちだから」
「おう、じゃーな」
会話している間に学校の玄関に辿り着いていた僕たちは、下駄箱が離れた場所にあるのでそこで別れた。違うクラスだし、もう今日は会わないかも。


とか考えていたら別に人間に出会った。
「おっ、来たか。朝から朝比奈と痴話喧嘩してたのか?」
「誰かと思ったら勝彦か。誰が痴話喧嘩なんかするかっての」
「じゃあ仲良く二人で登校か。良いねえ、青春だねえ」
「・・・そんな事を言うためにわざわざ玄関でお出迎えした訳じゃないだろ?」
多少始業のチャイムまで余裕があるとはいえ、いつまでも勝彦と漫才をしているほど余裕がある訳でもない。挨拶は早めに切り上げて本題に入るように促した。
「まあそうなんだけどさ。単刀直入に訊くけど、昨日の放課後何してたよ?」
意外な方向からの質問で言葉に詰まってしまう。
「俺、昨日の放課後は屋上にいてさ。そしたら・・・言わなくてもわかるだろ?」
「ああ・・・」
間違いなく木村さんとの事だろう。誰もいないと思っていたけど、まさか勝彦がいたとは・・・。
「俺はてっきり部室で絵を描いてると思ってたんだが。健、お前演劇部でも始める気なのか?」
「・・・え?」
どうやら会話の中身まで知っているのではなさそうだ。言葉の端々や雰囲気からなんとなく演劇の練習と読み取ったのだろう。
「いや、違うけど・・・」
「別にな、怒ってる訳じゃないんだ。半分は好奇心で訊いてるようなもんだ、正直。ただ気になったから尋ねてるだけ、そう思ってくれていい」
きっと勝彦は本当にそう思ってくれてるんだと思う。絵なんてものは強制されて描いたって良い作品は出来ない。だけど昨日の僕は絵を描いていると言ったも同然だし、勝彦にしてみれば嘘をつかれた気分なのだろう。確かに相手の立場で考えてみれば詰問したくなる気持ちもわかる。
「ちょっと複雑な事情があってさ・・・まあなんといえばいいのか・・・とにかく勝彦は裏切るような事はしてないよ」
「?どういうことか、さっぱりわからんのだが・・・」
「ええっと・・・うーん、そのうちわかると思うから、もう少し待っててよ」
「・・・とにかく、演劇部に目覚めたわけではない、と?」
「うん、そう。美術部は辞めないから安心して」
「ぜんっぜん話が掴めないんだが」
肝心な内容をほとんど話してないんだから無理もない。しかし懇切丁寧に話す気にもならないし、さてどうしたものか・・・。
僕が頭を悩ませていると、
♪きーんこーんかーんこーん
始業のチャイムが鳴ってしまった。
「やばっ、遅刻しちまう!」
気付けば周りに人気がなくなっている。走り急いでいる人しかいない。
「じゃあまた放課後に訊くからな!部室で待ってろよ!」
「あいよー!」
僕も勝彦も至極簡単に約束を済ませると、急いでそれぞれの教室へ向かった。やれやれ、いつもと変わりない朝かと思ったら、真琴に勝彦とやけに人に出会う朝になったなあ。今朝の出来事を振り返りながら教室に滑り込み、僕はギリギリで遅刻は免れた。


あれやこれやとしているうちに放課後。
僕は昨日と同じように部室で読書でもして時間を潰していると、しばらくした後に勝彦がやってきた。
「なんだ、全然筆が進んでないじゃんか」
「んっ、来たのか。まあ見ての通りなんだけどさ・・・」
本に栞を挟んでから閉じ席を立つ。
「さて、早速どういうことなのか説明して欲しいね」
今朝の話の続きをしようという訳だ。
「そうさね・・・どこから話したらいいものか・・・」
「どこも何も、こっちにしてみれば一から説明してくれないとわからん」
「うーん・・・端的に言うと交換条件ってとこか」
「はぁ?交換条件?なんだそりゃ?」
勝彦はますます訳がわからないといった顔をする。
「僕は木村さんをモデルに描こうと思ったんだよ」
「ふむふむ。それで」
「モデルの条件に木村さんの手伝いをする、ってとこかなあ」
「・・・それだけか?」
あまりに端的すぎたのか、拍子抜けしてしまったらしい。概要を説明するとこんなとこで間違ってはいないけど。
「うん、それだけ」
「それで手伝っていたのが昨日の屋上と、そういうことか?」
「そう・・・だねえ」
「具体性がなくて雲を掴むような話だな。もっと詳しくは教えてくれないのか?」
詳しく、か・・・説明するのは簡単だ。だけど内容が内容だけに、第三者に軽々しく教えていいのかと言われればそれはさすがにマズいだろう。プライベートなことだし。別に勝彦の口が軽くて信用するに値しないとはいわないけど、やっぱり木村さんに対して不誠実だと思う。
「これ以上はちょっと・・・すまん、察してくれ」
勝彦は顎に手を持っていき考える素振りを見せる。
「・・・そうか。まあ腑に落ちない点ばかりだが、今回は健を信用するよ」
「ありがとう」
納得はしていないようだけど、追求するのは諦めてくれたみたい。
「んじゃ、俺はやることがあるからもう行くわ」
言って勝彦は部室を出て行った。


「・・・ふぅ」
なんか騙してるようで悪い気もする。事が上手く運べば話しても問題ないだろうから、ここは彼に我慢してもらうのが一番なんだろうな。
「なーに溜め息なんかついてんのよ?」
唐突に声をかけられた僕は、つい驚いて体をびくっとさせてしまう。
「あっは、かっこわるぅー」
声の主は今朝も出会った朝比奈真琴、その人だ。
「・・・ここは関係者以外立ち入り禁止デスヨ?」
気を落ち着けながら真琴に反撃する。
「あーはいはい、邪魔するわよー」
ちっ、人の話を聞いちゃいない。無遠慮にずかずかと乗り込んでくると、近くにあった椅子を引っ張ってきて僕の前に座った。逆方向に座り背もたれに腕を乗せ体重を預けると、
「この教室は美術室でもあるんだから、美術部員だけのモノじゃないでしょー」
と更に反撃。確かにその通り。あんな言葉ひとつで追い返せるとも思っちゃいない。
「んなこたーわかってるよ。で、なんだ?忘れ物でもしたのか?」
「違うわよ。アンタの様子を見に来たの」
「はっ?僕の?」
虚を突かれて思わず間の抜けたリアクションをしてしまう。
「そう。なんか朝の様子だと行き詰ってるみたいだから応援しに来てあげたわよ」
「頼んでねーよ」
「機嫌悪そうに答えるところを見ると思った通りみたいね。画材も出てないし、アンタここに何しに来てんの?」
キャンバスすら出しておらず、あるのは読みかけの本が一冊。ここが部室でなかったら誰も美術部員だとは思わないだろう。
「あえて言うなら・・・暇つぶし?」
「最後にクエスチョンマーク付けて言われてもこっちが困るわよ。何、やる気ないの?」
「ちげーよ、描く人がいないんだからしょーがないんだよ」
「描く・・・人?」
しまった、立て続けに同じような質問をされたものだから、つい余計な単語が出てしまった。
「あーそっかそっか、モデルがいなくて困ってるのかあ。そうだよね〜、健みたいな甲斐性なしのモデルになってくれるような女の子いないわよねえ〜」
「うっさい!」
なんで甲斐性なしまで言われにゃならんのだ。
「お前こそ何しに来たんだよ?冷やかしに来たんなら帰れよ」
そこで真琴は僕を嘲笑していたかのような笑いを止める。
「じゃあさ、アタシがやってあげよっか?」
「は?何を?」
「何を、ってモデルに決まってるじゃない。アタシみたいな美女を描けるなんて光栄でしょ?」
長髪をすくいあげるような仕草でポーズをする。ショートカットだからそんな髪なんて無いんだけど。
「・・・アホくさ」
「見る目ないわねえ。ホントに美術部員?時間も無いんでしょ、こんな千載一遇のチャンスはもう無いと思うわよ?」
考えてみれば、これは真琴の言うようにチャンスかもしれない。美女とは言い難いけど決して見た目が悪いわけじゃないし、無条件でモデルが手に入るなら悪くない話だ。しかし僕はただ人物画が描きたいと思ったんじゃない、木村さんだからこそ描きたいと思ったんだ。誰でも良いって訳にはいかない。
「悪いが他に候補がいるんだ。気持ちだけ受け取っておく」
「そうは言うけど、実際全然描けてないじゃない。コンクールまであんまり時間ないんでしょ?選り好みしてる余裕ないんじゃない?」
「確かに時間は無いけど、そうほいほい切り替えるわけにもいかないよ」
「・・・そっか」
自分の提案が蹴られてしまったことに気落ちしたのか真琴は俯いてしまう。しかしすぐに顔を上げ椅子から立つと、
「そこまで言うならちゃんとやんなさいよ?締め切りに間に合いませんでした、なんてことになったら承知しないわよ」
「・・・わかったよ」
苦笑しながら僕は真琴に了解の意を示した。
「それじゃアタシ帰るね」
「おう」
真琴は立った足でそのまま部室の出口へ歩いていった。軽く右手を上げて僕は送り出した。
彼女が出しっぱなしで片付けずに行ってしまったので仕方なく僕が椅子を元の位置に戻し、時間も丁度良い頃合になったので屋上に向かうことにした。


相変わらず重い扉を開け屋上に出ると、高所ならではの強風に煽られる。ただでさえ今日は風が強いらしいし。出入口に立ったまま周りを見回したけど、まだ待ち人は来ていないみたいだ。やっぱりちょっと早かったかな。
適当にぶらぶらと歩いてみた。屋上を囲っている網越しに校庭を見やると、運動部が活動しているのが見える。野球部、陸上部、テニス部・・・秋の新人戦に向けてどこも一生懸命だ。ウチの高校はこの部活が特別強い、というところは無い。それでも頑張っているのは素人目にもはっきりとわかるし、結果が出せればいいなと思う。
そんなことを考えながらぼーっと下の世界を見てしばらく時間を潰していたけど、それにも飽きてまた適当に屋上をぶらつく。木村さん、今日は遅くなるんだろうか?
「・・・あ・・・・・・ん・・・・・・」
あれ?今、そこの陰から人の声がしたような?僕の場所からは壁が死角になってて見えない。
そろりそろりと忍び寄って死角の向こうを覗いてみた。
「!」
そこには思いも寄らない光景が繰り広げられていた。まあなんと言いますか・・・男女のコミュニケーションとでも言いますか恋人同士の愛情表現と言いますか・・・早い話がちゅーしてる方々がいらっしゃるんですが僕はどーしたらいーですか。
うん、見なかった事にしよう。多分それが一番いい。来た時と同じように忍び足でその場から立ち去ったその時だった。
がちゃこん
重い扉が開かれ、待ち人が屋上にやってきた。
「沖田君お待たせー、木村美奈只今到着しましたー」
「はぁうっ?」
「?どしたの?」
「いやいやいや、なななんでもないよっ?」
ちっちゃなイタズラをしようとしていた子供が現場を押さえられたかのように僕は慌ててしまう。つい大きな声を上げてしまったけど、そこそこ例の場所からは離れたから気付かれていないと思う。
「今日はこっちでヤリマショウ」
「なんか喋り方が硬いみたいだけど何かあったの?」
「なっ?何もウニもカニもありませぬですよ?」
「なぁに、それ?」
なんだろう。自分で言っててちっとも意味がわからない。いかんいかん、落ち着けー。平気で街中でやっちゃうようなバカップルなんか空気だと思ってスルーすればいいけど、人目に付かないような場所で致しているシーンなんか初めて見たよ・・・。
「よーし、じゃあやりまっしょい」
「りょーかーい」
ここなら例の方々が屋上から出ようとしても僕らに気付かれないだろう。とはいっても、昨日とほぼ同じ場所なんだけどね。大分気分も落ち着いたし。
「ほんじゃ早速、スタートっ!」
開始の合図。
「はいっ、ええっと・・・わ、私、先輩が・・・」
とりあえず本日一回目も失敗に終わった。


そんなこんなでテイク4。
「せ・・・・・・先輩が・・・・・・好き・・・・・・です」
「・・・オッケー!初めて言えたじゃない!」
昨日から通算して11回目の挑戦にして記念すべき初成功。なのに木村さんはあまり嬉しそうじゃない。
「あれ?どうしたの?」
「沖田君・・・そこはちゃんと『僕も好きだよ』とか『僕も前から美奈ちゃんの事が・・・』とか言ってくれなきゃダメでしょお〜」
「あ、そっか。ごめんなさい」
「むぅ〜・・・まあいっか、許してあげるよ。次からはよろしくね?」
「はい、以後気を付けます」
その後、時間が許す限り練習を繰り返したんだけど、結局成功したのはさっきの1回だけだった。一度言えれば殻が破れると思ったのにな。逆に一度言った事で余計恥ずかしくなったような・・・これならぶっつけ本番でやった方が良かったのか?


「・・・ごめん」
学校を出て二人で歩きながら先程までの練習を反芻する。
「まあまあ、そんなに気にしないでよ。簡単に出来るなら最初からこんな練習する必要ないんだし」
そのお陰で僕にチャンスが巡ってきたんだけど。
「ありがと。明日もよろしくお願いしまっす」
ぺこりと頭を下げる木村さん。
「そんな大仰なもんじゃないんだから頭なんて下げないでよ」
「あはは、儀式みたいなもんだよ」
二人で笑い合う。つい一昨日まではこんな風に気さくに話せるなんて想像もつかなかったな。


第5話につづく